野村路子さん講演会を聴いて

4月22日(土)
zoom野村路子さん 講演会。
全国友の会の国際交流の会主催。
昨年川越市で行われた野村先生の「野村路子のテレジンと歩んだ30年」講演会とコンサートに行かれた東京第一友の会のあつこさんが、テレジンの子どもたちの絵のことをもっと多くの人に知ってもらいたいと野村路子さんに連絡し、Zoomでの講演会を実現してくださいました。
『婦人之友』2月号で元毎日新聞記者現ボローニャ大学で哲学を学ぶ中村秀明さんが「チェコの街角から」で野村さんの30年以上にわたる活動を紹介されています。連れ合いの中村美希さんは「Mikiも歩けば」コーナー担当。一緒にボローニャ大学で哲学を学んでらっしゃるとのこと。いいなあ。
野村さんの紹介をあつこさん。
続いて自宅書斎の野村さん。
(これは奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)さんの「千人回峰」連載対談の時のお写真です。
テレジンを語りつぐ会https://www.teresien.jp/
をご覧ください。野村路子さんのHPです。
先ず子どもたちの「学校の絵」(SKOLA スクール)を見せてくださいました。
学校が大好きだったユダヤの子どもたち。
「メリーゴーランドの絵」「お家の絵」など4枚の絵。
あの誰でも知っているポーランドのアウシュビッツ収容所は、ユダヤ人絶滅作戦のためにガス室のある収容所。
チェコのテレジン収容所はガス室はなくて、そのアウシュビッツ絶滅収容所への中継地。
だからアウシュビッツが地獄ならばテレジンは「地獄の待合室」と言われていた。
テレジン収容所は1941年から1945年5月まで。
145,000人収容。そのうち88,000人はアウシュビッツに送られ、テレジンで餓死、病死、撲殺銃殺などで死んだ人は33,000人。
そのうち15,000人は10歳〜15歳の子どもたち。そして生きて終戦を迎えたのは100人!!!
親から離され労働力として女の子の家、男の子の家に住み、男の子は収容所が足りないのでバラックを建てる大人の手伝い、女の子は畑で野菜作り。
朝整列。顔色の悪い子は列外へ。他の子は「いいなあ、お家の時みたいに温かなミルク貰えるのかな」と羨ましがっていたが、夜になってもその子は戻らない。翌日も、何日たっても帰っては来ない。それは東にある大きな煙突から嫌なにおいのするところに(アウシュビッツ)に送られたからと。
今日は生きている、でも明日はその子のように・・・・・・
絶望の毎日で子どもたちは声も出せない。大人は心を痛めます。あんなに笑顔でキラキラ眼を輝かせていた子どもたちが・・・・
好きなことをさせたい。子どもたちは学校が大好きでした。収容所へもっていく許可された一家族50キロの中に本やノートや勉強道具も入っていました。金目のものはすべて没収されましたが、文具類はそのまま。
大人たちは必死で頼みました。
収容したら名前はない、番号だけとユダヤ人を人間扱いしないナチスが、ようやく週の1、2回少しだけの教室を許してくれました。(このくだりを話すと長くなるから省略だそうで、どうやって許可を得たのか聴きたいですね)そこで絵を教えたのがフリードル・ディッカー先生。
(野村路子著『フリードル先生とテレジンの子どもたち』第三文明社刊お読みください)
テレジンは要塞として18世紀に作られたそうです。収容所にぴったりです。高い塀に囲まれて逃げられません。元からいたチェコ人(6千人くらい?)は移ってユダヤ人が収容されました。
今は普通の街です。
フリードル先生は召喚状が来たとき、持っている紙や絵の具などを鞄に詰めました。上記の本の表紙はフリードル先生が持ってきた赤い紙を切って、書類(ドイツ兵の事務所を掃除した人が、屑籠からこっそり)の紙の上に貼ったものです。↓この絵。
子どもたちはたくさんですから、紙や絵の具は惜しみ分け合いながら使ってもなくなります。生還者のひとりラーヤさんは「収容所では辛いことばかりだったけれど、嬉しいこともあったのよ。フリードル先生が毛糸の束を持ってきたの。「プレゼントよ」って。絵具がないと話すとお母さんたちが自分のセーターを10cmとかほどいてくれたの。頬ずりしたらお母さんの匂いがしたようで嬉しかった」
野村先生は4000枚の絵の中から150枚を選び、写真に撮ってそれを120枚のパネルにしました。(埼玉県平和美術館に寄託)パネルにはその絵が誰で何年生まれで、いつアウシュビッツに送られたかが添えられています。
絵には名前が書かれていたから、それが可能でした。
フリードル先生は「絵を描いたら名前を書きましょう。あなたたちは番号ではなく、お父さんお母さんがつけてくれた名前があるの。」と言われていたのです。
野村先生は、1989年プラハの博物館でテレジンの子どもたちの遺した絵に出会います。その前にアウシュビッツに行かれました。たくさんの靴、コップ、歯ブラシや櫛、髪の毛も三つ編のままのとか、それを見てモヤモヤする思いが・・・・どれにも持ち主があるのに山のまま・・・・
博物館の絵には名前が書かれていました。名前がないのは「次に出来上がってから名前を書こう!」でも次はなかったのです。
そのころ日本では子どもの自殺が増えていました。生きたかったのに生きることが出来ず絵だけを残した沢山の子どもたち。
これを日本の大人や子供に見せたいと、野村先生は思われました。絵を描くことで希望を持った子、それを願って力を出したおとなたち。
テレジンで生き残った23名の方の名簿を手に入れたので、テレジンのことを知りたいと英語でお手紙出されました。
1回目、誰からも返事が来ません。
2回目、返事がわずか来ましたが「話したくない」「思い出したくない」3回目も同じ。
でも、イスラエルに行ったとき、ディタさんがホテルに尋ねてきてくれたのです。今までは話したくなかったけれど、話さなければいけないと思い始めたと。そして他の方にも話すよう勧めてくれ、それで6人の方にテレジンの話を聞くことが出来たのです。
終戦で解放されたビリーグロアーさんも不思議としか言いようがありません。プラハへ帰ろうとしたとき、焼け残った書類の下にあの子どもたちの絵があったのだそうです。この絵を描いているとき、子どもたちの目はきらきらしていたから、これは持って帰らなければ・・・・
(教育図書刊の6年の国語の教科書の野村先生書下ろしを読んでください)
そういう不思議なことはたくさんあります。
1991年から野村先生は展示会を開催されましたが、1990年12月にテレジンを訪れ、帰ろうとしたら虹が‼チェコの12月は寒くて雪です。
虹はテレジンの子どもたちの願いだと感じられたそうです。
その思いで33年前から展示会を開かれています。講演会もコンサートも。写真パネルは埼玉県立平和ミュージアムにありますから野村先生にお願いしたら、無料で借りることが出来ます。運送料と会場代があれば・・・・・
ある学校に行かれた時のお話。
研究授業で、先生が何も言わず何枚かの写真パネルを見せました。
子どもたちは、花を書いているのに色が薄いとか、きれいじゃないとか思ったことを言います。あるやんちゃな男の子はこの絵を見て「蝶に顔描いてるなんておかしい!」と大笑いしました。
それで先生が「ではこの絵について詳しい方のお話を今からしていただきます」
野村先生がテレジンのことを話され、ちょっと自由研究の時間があって纏めの時、あの笑った子が出てきました。
絵の前で深く頭を下げてその子は
「ごめんね。笑ってごめんね。蝶はきみだったんだね。蝶になって外へ出たかったんだよね。ごめんね」
こう書いていても涙が出ます。
野村先生は「この子にこの絵を見せることが出来て良かった」と思われたそうです。そういう事例はもうたくさんあって、話しだしたら時間は足りませんと。
2020年2月のイスラエルツアー(私も申し込んでいました)がコロナで取りやめ、やっと今年3月にイスラエルに野村先生は皆さんと一緒にいかれました。ディタさんに会えると。ところが93歳のディタさんはプラハでの国際ホロコーストディで講演されて、まだプラハに。
ディタさんは植物の絵を描かれます。テレジンで嫌というほど汚いものを見て来たから、きれいな植物しか描かないの」
参加された方の感想を
🌈子ども達の絵を初めて見た時、衝撃を受けたとの感じる心が出発点、そこからの行動力、野村さんの熱意、お人柄に吸い寄せられるように皆が集まり、日本中に広がった展示会、そして収容されておられた当事者(生き残られた)の方達の心をも動かされた事、野村さんの全身から出る本気さ、暖かさ、信頼を感じられたからこそ心を開いて下さったのでしょうね。本当に素晴らしいです。そして、今残る沢山の絵、子ども達の遺品、この靴を履いていたのはどんな子だろうか?と話された時想像するだけで、心が苦しくなりました。
当時子ども達に接し、心に寄り添い、絵を描く事で、希望と日々前向きに生きようと励まされた素晴らしい方達、自分の名前も書きましょうと伝えられ、又その名前が、ある事で名前と共にそれ以上のものも伝わってきます。
ウクライナの今、多くの子ども達が強制的に連れ去られ、現在どうしているのか分からないとの報道が、思い出されました。
どのお話からも、今の私達の生き方が正されるお話でした。
今年中に又展示会がありますね、一人でも多くの方に見て頂けるようお誘いしようと思います
🌈野村先生のお人柄が滲んで正義、公正さが歪んでいる今の社会、時代にあって、とても大切なものを呼び起こして下さるメッセージですね。いつも変わらず、そして今回はより身近におばあちゃまから大事なお話しをして貰っちゃった感で聞かれたのではないかな。
友の会がこれから各地で開く打ち合わせ会みたいな感じもしましたが…
そう実現なるとステキですね❣️
🌈野村先生の穏やかな物腰の中に強い信念を感じ、もう80歳になったからと全てに消極的になっている自分が恥ずかしく思われました。
🌈会員外の男性80代
野村路子氏講演会聞かせて頂きました。テレジン収容所の事は少しは聞いていましたが今日は野村氏から聞いてナチスドイツのユダヤ人絶滅作戦、収容所送りの無惨さ、10歳台の子供の名前も剥奪され番号だけで管理され、働かされ、体調を崩すとガス室に送られるなど人間が同じ人間をこんな凄まじいことをしたのかと驚きました。
そんな中ガス室に送られることを承知している子供たちに絵を描いてサインをして笑顔を取り戻す事に取り組んできた画家の方の気持ち、涙が出ました。絵画の展覧会があれば背景を感じながら見て見たいとおもいます。
今、ロシアのブーチン大統領、中国、北朝鮮などナチスドイツのようになる心配かちらつきます。多くの方に知ってもらいたいですね。
🌈大学一年生
先日のzoom母と共に参加しました。子供達に伝えてと頼まれた事、虹がかかった話とても心が震えました。中学高校の際に、ハンナのかばんの著者の方が学校にいらっしゃりお話ししてくださったことや『アヴェマリアのヴァイオリン』『アンネの日記』などを思い出しながら聞いていました。いつか収容所も訪れて全身で感じ、祈りたいと改めて思いました。貴重な機会をありがとうございました。