8月平和の集い

8月6日
北九州友の会夏の集い
兵庫県被爆二世の会の会長中村典(みち)子さんのお話を伺いました。日本キリスト教団門司大里教会牧師夫人です。
讃美歌228番をみなで歌いました。
核廃絶が願いですと典子さんは話されます。
2022年ロシアは、2023年イスラエルは、核をかざして侵攻しました。現在12000発もの核弾道ミサイルがこの世界に存在します。
典子さんのお父様は広島の1年前に新築された広島鉄道病院のレントゲン技師さんでした。1.7キロ地点での被爆。
壊れた病院の写真もありましたが、これを撮ったのは林 重男さん。でも撮った写真はGHQに没収されたそうです。でもネガはあってそこから彼は反核写真運動をなさったとのこと。
1945年9月6日ファーレル准将は
「放射能の後障害はあり得ない。死ぬべきものは死んだ。」と発言。
9月15日にGHQはプレスコードを指令。
被爆者は沈黙を強いられたのです。
1952年にGHQはなくなりましたが、それまで被爆された方の治療はしない、報告のみとのお話に胸がつぶれます。
1954年にビキニ環礁で第5福竜丸が死の灰を浴びました。
原水爆禁止の署名が1年間で34万筆集まりました。
それで1955年広島で第一回原水爆禁止世界大会が開かれたのです。
1956年には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
「自らを救うために自分たちの体験を通して世界の危機を救おう」
被爆2世さんは30~50万人はいらっしゃるそうです。
(広島 吉川晃司さん 長崎 福山雅治さん)
典子さんは1975年から神戸にお住まいでお元気でしたが、2009年慢性骨髄性白血病と診断されました。折り鶴の少女佐々木禎子さんと同じ病名です。でも2歳で被爆した禎子さんはまだ薬がなく亡くなられましたが、典子さんは薬ができていて助かりましたと。
それで2012年兵庫県被爆2世の会に入会。
でも2014年2世検診を受けたら甲状腺がん、左半分は切除されたそうです。そして北九州に移転。
2016年に兵庫県2世の会が会員の高齢化もあって存続が危なくなり北九州在だけれど「会長受けます」と。
原爆体験を語りつぐことが大事だと思われての決断だったのでしょうね。
参加者30名が質問や感想を述べ、讃美歌391番で終わりました。
抱樸のお弁当を頂きながら、この時間を共有できたことを感謝しました。
原爆のこと、核のこと、知ってても上っ面だけだったなあと反省です。
友人の息子さん(ポーランド赴任)の言葉
「何が正しいか、間違っているかでなく、人として生まれたらここ(アウシュヴィッツ)に来ないといけない。誰がいつ、加害者に、被害者になるかわからない」を紹介してくださったのは久しぶりの会員Mさんでした。
この夏の集い2019年に、広島で被爆された叔母様の手記を読んでくださった木ノ原さんもご参加でしたが、fbに叔母様の手記を載せてくださっています。お読みください。