夏の集い

8月3日(木)10時~友の家。お客様1名子ども5名会員23名の総計29名。

讃美歌は452番 読書は『婦人之友』8月号羽仁もと子の言葉「四通八達の家」

感想は

・コロナの3年間で知らない人ばっかりになり、人間関係築くのが億劫になって・・・・これでは八方塞がりの家だなと。外との隔てを作らないあけ隔てのない家庭にしたい(代読)

・「心にあるものをみな出して残っているのは働いた疲れだけ」を読んでなんと清々しい暮らしだろうと思いました。家族の間にも垣根があるのではと・・・・昔ですが夫が「子どもがお母さんの顔色窺ってるような・・・」と言われてはっとしたことを思い出しました。正直に率直に伝えることを心がけています。

・ここだけではなく『みどりごのこころ』の「四通八達の家」を読み返しました。夫と屈託なくコミュニケーションが出来てるか?ある日の出来事でお互いに分かる、話し合うことをしないといけないと思いました。

・全国生活研究会で「迷う 選ぶ 決める」がこどもに大事と何度も話が出ました。思春期だった二人を育てていた時、最寄の方の子育ての話を聞いて行き詰まらずに済んだと思います。柔軟な気持ちになれた。

・自然のにまかせていい風・・・・これは心の中にあると思った。自分に閉じこもって垣根を作っていた。思ったことを言っても分かってもらえない、面倒だから言わない。伝えられないのではなく、伝えていなかったと気づいた。もっと自分に素直になればいい。

10:20~

会員のお母さまのお友達で82歳の方が話してくださいました。

大連から引き揚げる途中、栄養失調で一歳半の妹さんが命を!子どもをなくした親の気持ちは、察するにあまりあります。引き揚げ船に乗るためとにかく歩いていたら、よろよろと一人の女の子がおかあさんにすがってきて、お母さんは彼女の手を放して、その子の手を繋いだのだそうです。お父さんは怒りました。我が子がはぐれたらどうするのだと。でもお母さんは手拭いで涙をふきながらもその子の手を、鉄橋渡り終えるまで放さなかったそうです。

日本に帰りつき、住んでいた家のそばに保育園ができ、お母さんは境の金網をギュッと握りしめ食い入るように子どもたちを眺めていたの、とお姉さんの思い出話。
失ったおさなご、手を握りしめた女の子のことがずっと忘れられなかったのでしょう。
国が戦争をすると庶民は傷つきます。
お兄さんがずっと抱えていた心の傷も、戦争がなければつかなかったはずです。
つづいて戸畑最寄88歳みちこさんの戦後の体験談。1日に取材してスマホに収めた15分間。スマホにマイク添えても聞こえません。急遽聞き手が話し手になりました。
戦後、おんな子どもは襲われるから逃げろ!と戸畑から直方迄歩いて避難したお話。当時10歳のみちこさんです。4歳と2歳の妹を箱車に乗せ、12歳のお兄さんと引っ張って歩いたのだそうです。
まだ戦争が終わっていない時、お母さんは予科練志望した長男さんにおはぎを作って持っていこうと大事に隠していた砂糖を、12歳の次男さんが舐めてしまっていたこと。
6人兄妹で食べるために必死だったお母さん。結婚してそれらの苦労話を夫さんにしたら、8月15日には団子汁を作って食べることをずっとされたそうです。
次は広島友の会の方が作られた紙芝居。『わたしがこどもだったころ』今年85歳ひろこさんが今年6月に作った絵本です。
2冊用意して、1冊は子どもたちによく見えるように1冊はおとなに向けて、読み手は筆者に敬意を表して手書きのテキストを用意して真ん中で読みました。お二人の話と重なることが多く、子どもたちもよく聞いてくれました。
広島友の会の平和例会は5日です。オンライン参加もできます。
広島友の会のHPから申し込まれてください。
最後は絵本『へいわとせんそう』たにかわしゅんたろうさん文。

小学2年生ことえさんが読みました。31日に一回練習しただけですがゆっくり落ち着いて読んでくれました。子どもの声はいいですね。

お昼は抱樸のお弁当。会員が受け取りに行きました。美味しい鯖弁当です。ごはん少な目でお願いしました。

北九州抱樸館レストランは12時半から利用できます。